14.ヨガとタントラの起源
瞑想の起源は、インダス文明が起こった紀元前2500年ごろにもとめられます。
ヨガの起源も同じころに始まったとされていますが、それはヨガと瞑想を同じものとしてみているためで、実際にヨガという言葉が使われだすのは、紀元前500年ごろまで待たなければなりません。
おそらく、この2000年の間は、瞑想とともにヨガの源流となるさまざまなエクササイズや考え方などが、明確な定義をされないまま、渾然一体となっておこなわれていたのでしょう。
インダス文明を起こしたのは古代ドラヴィダ人といわれる人たちで、紀元前1500年ごろに侵入してきたアーリア人とは異なった人種です。
いわゆるヴェーダという古代経典とサンスクリット文字は、アーリア人たちがもたらしたものですが、それからヨガという定義がされるまでの1000年くらいの間には、土着のドラヴィダ人と征服者としてのアーリア人とのあいだで、人種的・文化的な融合がなされ、さまざまな形態の宗教的な祈祷や儀式などが入りまじりながら、発展していったものとみなされます。
では、タントラの起源はいつなのでしょうか?
ヨガとタントラの起源はこちらからどうぞ
瞑想とヨガ
瞑想の起源と歴史
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クンダリーニ瞑想ー瞑想法の紹介ー
伝統的な瞑想法を3つ紹介してきたので、これから少し現代的な瞑想法を紹介していきましょう。
クンダリーニ瞑想といわれる瞑想法はいくつかの種類がありますが、いまここで紹介するクンダリーニ瞑想法は、和尚(ラジニーシ)によって考案された瞑想法です。
この瞑想は、前半は音楽とともに気持ちよく身体を動かすアクティブ瞑想、後半は座ったり横になったりしながら、瞬間瞬間に気づきをもたらす、いわゆる通常の静かな瞑想のふたつの側面を、ひとつの技法のなかにとりこんだ新しい種類の瞑想法です。
身体をシェイクしたり、自由に動かしたり、踊ったりすることができるので、前半の30分で身体が気持ちよく疲れはて、後半の30分の静かに気づいている静的瞑想の時間に、すっと「無心のとき」を体験することができるという組み立てをもった現代的、モダン・タイムの瞑想技法だといえるでしょう。
現代人はブッダが教えを解いていた2500年前の人々とちがって、マインドのなかがたいへんいそがしく複雑になっています。
ですから、最初からただ静かに座って瞑想するのは、たいへんむずかしいことです。瞑想の時間になって座布団の上に坐ったからといって、実際問題、身体は止まっても、頭のなかは簡単には止まらないのです。
現代に生きて、仕事をし、友人と交際し、コンピューターを使い、家族を持っているような普通の人たちには、最初から静かに瞑想することなど、ほとんど不可能に近いといっても過言ではないでしょう。
そういう意味では、この瞑想はシェイクという強烈な浄化と、ダンスという楽しい遊びをなかにふくみながら、心の表層にうごめく混沌(カオス)を一掃し、その深層にある「静かに観ている」という自己の本性を、わりと簡単に味わわせてくれます。
このクンダリーニ瞑想は、もうひとつの瞑想法である「ダイナミック瞑想」とひとつの対をなしていて、ダイナミック瞑想は早朝に、クンダリーニ瞑想は夕方にするようにいわれてますが、夕方はいがしいからできないというより、朝でも、夜でも、できる時間におこなったらよいと思います。
最初は和尚瞑想センターや瞑想会などでやり方をならい、そして自分の場所で日常的につづけてみてください。
クンダリーニ瞑想音楽のCDは、ニューエイジの店や大きな本屋などでも買えると思います。
OSHO クンダリーニ瞑想のやり方
第1ステージ(15分)
ゆったりと立ち、エネルギーが足元から上昇して来るのを感じながら、全身を振動(シェイク)させましょう。身体のあらゆる部分が、手放し状態で開放される(レット・ゴー)のを許し、振動(シェイク)そのものになります。目は閉じても、開けていてもかまいません。
「振動(シェイク)が起こるままに、まかせなさい。それをやってはいけない。静かに立ち、振動(シェイク)がやって来るのを感じなさい。そして体が少し震え出したら、それを助けるのはいいが、あなたがやってはならない。それを楽しみ、その至福を感じ、それを許し、受け取り、歓迎しなさい。でも意図してはならない。
もし震動(シェイク)を強いたら、それは一種の運動、体操のようなものになってしまう。その時、震え(シェイク)はあっても、それはただ表面的なものだ。それはあなたに深く浸透してゆかない。あなたは内側では、石や岩のように硬いままだ。あなたは操作する者、行為者のままで、身体はただそれに従っているだけだ。身体が問題ではなく、あなたが問題なのだ。
「震えなさい」(シェイク)と私が言う時、あなたの固さ、岩のような存在がまさにその根底から震え(シェイク)、それが流動体に、液体になり、溶けて流れるようになるべきだと言っている。そして、岩のような存在が流動体になる時、あなたの身体はそれに従うだろう。その時、あなたが震わせる(シェイク)必要はなく、震動(シェイク)だけがある。誰もそれをしてはいない。震え(シェイク)はただ起こっている。それをしている者はいない。」 OSHO
第2ステージ(15分)
感じるままに踊りましょう。身体全体を、それが動きたいように動かしましょう。ここでも、目は閉じても開いたままでもかまいません。
第3ステージ(15分)
座るか立ったままで、目を閉じて静止します。あなたの内なるところ、そして、外がわでおこっていること、すべてを黙って目撃し、静かに観照したままでいます。
第4ステージ(15分)
目を閉じたまま横たわり、静止しています。静かな観照だけがあるでしょう。
瞑想とはなにか?
トラタック瞑想法
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ワーリング瞑想 −瞑想法の紹介−
どの宗教のなかにも、ちょっとメイン・ストリームからはずれた鬼っ子的な宗派があります。
仏教には禅という特異な流れがあり、ユダヤ教にはハシディズムという変わり者たちがおり、それぞれの主流派たちからすれば頭の痛い問題児たちのように扱われてきました。
しかし、現代になって、このような「真摯に自己の本質を追究する」技法をもった鬼っ子たちが、むしろ見直されているように思います。
イスラム教にもこのような鬼っ子集団がいて、彼らはスーフィー(Sufi)と呼ばれました。
アポロ11号のアームストロング船長が、月世界での神秘体験をえて、その後スーフィーに改宗したので一時有名になりましたが、スーフィーという宗派はイスラム教の予言者モハメッドが生きていたころからすでに存在し、イスラム教のなかに取り込まれながらも独自の手法と霊的体験を、師と弟子という東洋的な伝達法によって伝えてきた人たちです。
「壁に向かって語れ。そうすれば、扉が開くであろう」
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8.瞑想の体験
瞑想の体験がある、と誰かが言うときには、ふたつの意味合いが考えられます。
ひとつは、瞑想した体験をもっている、という場合。
瞑想したことがある人は、ある意味では、すでにたいへん恵まれています。
なぜなら、瞑想という概念とその実習は、人類の歴史のなかでも、まだたいへん新しいもので、おそらく一万年以上はたっていないでしょう。
そして、ざっと見渡してみても、人間以外に瞑想する動物というのはおらず、サルや鯨が坐禅をくんでいる、などという姿は見たこともは聞いたことがありません。
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