2009.10.29 Thursday ラマナ・マハリシの本
ラマナ・マハリシのアシュラムのなかは、精神世界の透き通るようなクリヤーさと、沈黙の深さを、オーラとして持っています。 ここにいる探求者たちは、この瞑想空間のなかで知らず知らずのうちに、問題を抱えている人はその問題がますます大きく際立ち、たいへん難しい時をすごし、そのような問題をすでに解決した人たちは、純粋な空間の中で至福の深みを味わっているのです。 ところで、私はいま2冊の本を借りてます。ときどき読んだり、ときどき読まなかったりしてますが、このような真理をさとり、その教えを説いたグルたちの本というものは、たいへん貴重であると同時に、たいへん注意を要するものでもあるのです。 貴重であるという面は、もちろん珠玉の言葉があちらこちらに投げかけられているからです。 たいへん注意を要するという面は、結局言葉は探求者たちを混乱させてしまうだけだからです。 これらの二つの側面があるという前提のもとに、ちょっとラマナの言葉をこれらの本から抜粋してみましょう。 下は、ラマナが弟子たちにした昔の話です。 「夏のあいだ、マンゴー・ケーブには、いちばんカーストの低い女たちが、頭に重い草の束をのせ、とてもくたびれた様子でやってきた。私はいつも彼女たちが来る時間に水を用意して待っていたものだ。 彼女たちは洞窟に来ると、草の束を横に倒し、頭を下げて言った 「スワミ、水を私たちの背中にかけてください」 私は,望みどおり水をいっぱいかけてやった。 彼女たちは激しい疲れをいやし、元気を取り戻し、「ああ、なんというしあわせだろう!」と言ってはしゃいだ。 それから手のひらに水をいっぱいすくって、お腹いっぱいになるまで水を飲み干し、顔をあらって、木陰で少し休んでから、家路に着いたものだ。 そのような幸せをすべて体験できたのは彼女たちだけだった。 過酷な灼熱を体験したとき初めて、人は水の冷たさで苦痛がやわらげられるのを知るのである。」−シュリ・バガヴァン ここでは、探求が必要だということを肯定しています。 もう一冊の本には、こんな質問がなされています。 質問者:どうすれば真我を実現できるでしょうか? マハリシ:真我の実現とは新たに獲得されるような何かではない。それはすでにそこに在る。必要なのは、「私は実現していない」という想念を追い払うことだけだ。 ここでは探求は必要ではない、あなたはすでに「それ」である、と言っています。 どちらも一面の真理ですが、どちらも別な面から見ると「嘘」になります。 ですから、グル(師)の嘘をまた「方便」とも言います。 ですから、こういう言葉に感動していると、ひとつの落とし穴のなかに陥ってしまいます。そういうときには、旅はまだ長い、と言わざるをえません。 こういう本をたくさんあれもこれも読んで、混乱に混乱をかさねたあげく、「こんなものは、もう、たくさんだ!」というふうになったら、あるとき存在の慈悲が思いがけない「量子的飛躍」をもたらしてくれるでしょう。 それをあるグルは「宇宙的ジョーク」と言い、ある師は「心身脱落、脱落心身」と言い、ラマナ・マハリシは「平和とはあなたの自然の状態」だと言います。 なにもはともあれ、ラマナ・マハリシは卓越した師でしたし、いまでも多くの人々を導いています。 さて、私のティルバナマライ滞在も今日で最後。 明日は、またバンガロールに戻り、もうすぐゴアに到着です。 最後に、ラマナがとても好きだったというアルナチャラを歌った詩篇の一説。私も好きになりました。 もし私を誘拐したあと ただちに抱擁しないならば どこに御身のまことがあるのか ああ、アルナーチャラ! ― 文字の結婚指輪 ラマナ・マハリシの2010年カレンダー・セット、サフランロードから好評発売中です。こちらからどうぞ。 |