サフランの道

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瞑想とヨガ

昨日のブログでも書きましたが、瞑想は紀元前2500年ごろのインダス文明に、その遠い起源をもつことが指摘されています。
モヘンジョ・ダロの都市遺跡から発掘された印章のなかに、坐を組んで瞑想する人のデザインが刻まれているのが発見されたからです(昨日のブログの写真を見てください)。
ということは、もちろん、それ以前から瞑想という実習がおこなわれていたことを物語っています。

ヨガの起源を調べてみると、やはり同じインダス文明の瞑想する人の印章に、ルーツを見出しているようです。
ということは、瞑想とヨガとは同じところに起源をもつ・・・、単純に言い切ってしまえば、瞑想が始まったときにヨガが始まった、とさえ言うことができるのです。
ヨガの根本的な基盤には、瞑想が横たわっているのです。
最近世界中で流行している体操やフィットネスダンスのようなモダン・ヨガは、ダイエットや病気直しにはいいでしょうが、本来はヨガとは言えないかもしれません。
瞑想の欠如したヨガは、本来、ヨガではありえないのです。

ヨガ(Sanskrit: योग)という言葉は サンスクリット語のユジに由来し、「つなぐ」という意味です。
もともとこの言葉は馬をつなぐときに使われていた言葉なので、ヨガという言葉によって「感官を制御し、瞑想をおさめることによって、おおいなる存在とひとつになる」というヨガの目的も言葉のなかに含まれるのです。

ヨガの起源はインダス文明の瞑想する人の印章に見出されていますが、ヨガという言葉が歴史のなかで現れてくるのは、紀元前800年から500年の「古ウパニシャッド初期」に成立した「タイッティリーヤ・ウパニシャッド」においてです。
しかし、紀元前500年ごろに、ブッダはヨガの瞑想法、アナパナサティ・ヨグを実習したと記録されているので、そのことにはヨガの技法が広く修行者たちによって実習されていたことがわかります。
また紀元前350年から300年頃に成立したとされる「カタ・ウパニシャッド」には、「感官の確かな制御がヨガである」というヨガの定義が始めて出現します。
そして、2−4世紀にかけて、サーンキヤ学派の形而上学を理論的な基盤として、パタンジャリがその実践方法を「ヨガ・スートラ」としてまとめ、ここにおいてヨガの理論的な基盤が確立されたのです。

「ヨガ・スートラ」の第一章にはこう書かれています。

「ヨガとは心の寂滅である。」

この言葉だけで、第一章はおわりです。
そして、この章はヨガの本質を、簡潔に、ストレートに説いています。
もし修行者がこれを成就したなら、そのあとの章は必要でないとさえ説く師(グル)たちもいるほどです。

心の寂滅とは、禅の言葉でいえば無心です。
無心とは、瞑想のなかで心の動きが止まっている禅定(ディアーナ)の状態を、別な言葉で表現しているだけのことです。
そうすると、瞑想とヨガは深いところでは、同じコインの裏表であると言うことができます。
表がなければ裏は存在せず、また裏がなければ表も存在できません。
したがって、瞑想とヨガは、その核においては同意義語であるということができかもしれませんね。


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