サフランの道

インドのレストランにいったら、ドアのところに「幸福のレシピ」というのがあった。愛と慈悲のサフラン(ロード)・インド・ブログです。
7.瞑想法の紹介(1)ヴィパッサナー瞑想


これから瞑想の技法(テクニック)をいくつか紹介していこうと思いますが、読んでみたなかでなんとなく惹かれる瞑想法が見つかったら、それらを実際に試してみてください。
伝統的な瞑想法から、現代的な瞑想法まで、代表的なものをいくつか紹介します。


(1)ヴィパッサナー瞑想


ヴィパッサナー瞑想は、現在世界中でもっとも広く行われている瞑想法だといえます。
ヴィパッサナー(vipassana)とはサンスクリット語で、ものごとを・あるがままに・観照する・という意味ですが、通常、ヴィパッサナー瞑想というときには、呼吸の出入りに意識をおいて、同時に周囲で起こっているあらゆる出来事に気づいている、というひとつの瞑想法をさしています。
もともとはアナパナ・サティ・ヨグというヨガの呼吸瞑想法でしたが、ブッダ自身が修行中からおこなっていた瞑想法でもあり、後にブッダがたびたび雨期の定住地でこの瞑想法についての講義をおこない、パーリー語の経典には、この技法にたいするくわしいブッダ自身の講義(経典)が残されています。たいへんわかりやすく、おもしろく、実際的に、くわしく説明されてますから、機会があったぜひ読んでみることをおすすめします。

ブッダの死後、仏教が外国へも枝分かれしていく過程で、この瞑想技法に少しずつ細かな違いができてきましたが、おもに呼吸を意識して見守るという基本的な技法は同じです。
仏教は皮肉なことに発祥地であるインドでは消滅してしまいましたが、その教えは他のアジアの国々に広範囲に広まっていきました。

長くなりますから、興味のある方は、こちらのサイトからお読みください。


3−瞑想の目的

5−瞑想の質


| 瞑想(メディテーション) | 22:40 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
6−瞑想のやりかた

瞑想を始めたならば、少なくとも一定の期間は継続してやらななければあまり意味がありません。
ある程度、瞑想のコツがわかるまでは、「つらい」、「おもしろくない」、だけに終わってしまう可能性もあるからです。
それでは、せっかくの決意とやる気がもったいないというものです。
なぜなら、ほんとうは、ものすごくおもしろいものだからです。
ですから最初は、自分が通えるような瞑想センターや瞑想会などを探して通ってみるとか、あるいは週末などを利用して、数日間の瞑想グループなどに参加してみるのがよいかもしれません。

私がはじめて瞑想したのは沖ヨガの道場でした。
ヨガのアサナや強化法・浄化法などのカリキュラムのひとつとして、半結跏趺坐をして30分ほど坐禅をするという時間がありました。
しかし当時の私にとって、その30分の長いこと長いこと、といったらありませんでした。
10分が一時間のように思われたのです。30分は永遠に来ないのではないか、と絶望的に、瞑想が終わるのを待ってました。
それから何年かたつと、今度は45分のヴィパッサナ瞑想の座る時間が、あっという間に感じられるようになってました。でも、それには何年かの時間の経過があったのです。
最初からこういう静かに座すという瞑想が好きになるのは、ごく少数の人だと思います。
普通は、身体を動かしたり、マントラをとなえたりする瞑想が入りやすいだろうと思います。
瞑想をするときには、最初のうちは、一定期間(一週間くらいは)、同じ場所で、同じ時間に、同じ雰囲気の中でするようにしてみてください。通
常は、夜から朝にかけての時間、または昼から夜になる端境期の時間が瞑想に適しているといわれます。
しかし、自分の生活の中でもっともリラックスしてとれる時間を選んだらよいと思います。そして、できるかぎり毎日、その時間に同じ瞑想をつづけてください。
場所のセットアップも重要です。瞑想用の座布団を作り、瞑想のときはそこに座るとか、好みの香をたくとか、自分の尊敬する師の写真などを飾るとか、、、自分の気に入ったスペースをクリエイトしていくと、そこに瞑想の雰囲気が蓄積されていって、一定の磁場が形成されてきます。そうすると、その場所に座っただけで、瞑想の雰囲気が降りてくるのをかんじるようになり、瞑想がなりやすくなるでしょう。
瞑想のとき、目をつぶったほうがいいか、少し目を開いてしたほうがしたほうがいいか、それは人によります。
目をつぶったほうが深く入ることができるという人もいるし、そうすると気が散漫になってしまうという人もいます。自分でためしてみるとよくわかります。
通常、坐禅は半眼で座り、ヴィパッサナは目を閉じて瞑想します。旋回瞑想(ワーリング)は目を開いて回転し、ダイナミック瞑想は目を閉じてジャンプします。
基本的には、それぞれの瞑想法のガイドにしたがったらよいと思います。

1−瞑想との出会い
2−瞑想とは何か
3−瞑想の目的
4−瞑想の種類
5−瞑想の質

| 瞑想(メディテーション) | 19:24 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
瞑想の質
瞑想の方法は無数に存在しますが、どんな瞑想でもその核にはかならず「観照」という質が入っています。「気づいている」、「意識している」という質です。
どんな瞑想でも――アクティブ瞑想でもパッシブ瞑想でも、伝統的なヨガの瞑想でも、現代的なニューエイジ瞑想でも、激しく動いたり叫んだりする浄化(カタルシス)的な瞑想でも、自分の過去を意識の表面に浮かび上がらせる内観的な瞑想でも――瞑想というものであるならば、そこには例外なく「静かに、あるがままに、起こっていることを、見守る」という手法が、一本の縦糸として組み込まれていることがわかります。
瞑想のなかでこの縦糸をたどりつづけているうちに、あなたはある瞬間、自分が瞑想の世界に入っていることに気がつくでしょう。その世界は外側の世界では体験したことがないような、精妙な静けさと至福に満ちています。
そしてそのような体験をしたことのある人は、通常、その先にあるより優れたものを求めて瞑想をつづけようとするのです。
その過程を、禅ではこう表現しています。
「瞑想をするまえ、山は山であり、川は川であった。
瞑想を始めると、山は山でなくなり、川は川でなくなった。
瞑想が終わってみると、山はふたたび山であり、川はふたたび川であった」
この言葉の意味がわかるでしょうか?
これはただたんに一単位としての瞑想を語っているだけでなく、瞑想の行程のすべてを簡単明瞭に表現しています。
あなた自身を見つける旅は、人から聞いて学ぶことはできません。
誰もが、自分でその過程(プロセス)を実際に歩かなければなりません。
しかし歩きつづけてゆけば、その過程(プロセス)で、あなたは神秘的なすばらしい体験をたくさん積み重ねていくでしょう。
そして、いつか必ずこの言葉の意味がわかるときがやってきます。

あるとき、ブッダの教えに興味をもった一人の商人が、どうすればそれを自分のものにすることができるかブッダに尋たそうです。
ブッダが彼に言いました。
「あなたは商人だから、ここバイシャリの町からベナレスまで行く道をよく知っているでしょう。」
「もちろんです。私は年に10回はベナレスとバイシャリの町を行き来しますから、道のすべてをよく知ってます」
「それなら、たとえばここに一人の若者がいて、あなたにベナレスに行くにはどう行けばいいか聞くとしましょう。あなたは、彼にその行き方を教えてあげられるますか?」
「細かいところまで、全部教えてあげられます」
「あなたが若者にベナレスまでの行き方を教えてあげたとして、それならこの若者はベナレスに行ったことになりますか?」
商人は答えました。
「いや、自分の足でベナレスまで旅をしないと、彼はベナレスに行ったことにはなりません」
ブッダはにっこり微笑みながらこう言ったそうです。
「それと同じです。私は涅槃にたどりつく道を自分で歩き、いまそれを求める人々に道を教えています。しかし、それを聞いたからといって、涅槃を知ったことにはなりません。人は自分の足で、この道を歩かなければならないのです」

自分で実際に歩き出すことが必要なのです。
正しい道かどうか確信がないからといって、立ち止まってはいけません。
今あなたの歩いている道が正しいのです。
たとえ短期的に、この道は間違いだと思ったとしても、最終的にはそれは正しかったことがわかるでしょう。
それは、あなたというユニークな存在に用意されたユニークな道筋なのです。
歩き始めること、歩き続けること、この旅はあなたの人生でもっとも類いまれな、すばらしい旅になるでしょう。

インド/アーユルヴェーダ

| 瞑想(メディテーション) | 21:42 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
瞑想の種類

瞑想というと、ふつう日本では坐禅を組むという姿を思いうかべますが、実際にはそれだけが瞑想のやり方ではありません。世界中には、多くの異なった瞑想の技法があります。
瞑想は大別すると二つの種類にわけることができます。
一つは、身体を動かさず(不動)に瞑想する瞑想法で、英語では「パッシブ・メディテーション」と呼ばれます。
坐禅やヨガのトラッタック瞑想(ローソクなどの明かりを見つめる瞑想法)などは、この仲間にはいるといえるでしょう。
身体を動かさずにいると、動きたいというエネルギーが内側に向かい、最初は心のなかがより生き生きと活動的になります。
それを静かに意識している(観照)していると、いろいろと騒がしい内面の混乱と混沌が少しずつ収まってきて、あるときクリヤーな静寂の世界があらわれてくるのです。
たとえば、子供たちが池のなかで遊んでいるとき、水はかきまわされて濁っていますが、子供たちが池から出てしばらくすると、ゴミや泥は池の底に沈んで、水は再びきれいに透きとおってみえます。
同じように、瞑想をつづけていると、あちらこちらに散乱した心が、元の澄んだ状態に戻るということが体験されます。
もう一つは、身体を動かす瞑想法で、動的瞑想(アクティブ・メディテーション)とも呼ばれています。
禅の瞑想のなかには、経行(きんひん)といわれる歩く瞑想法があります。
一日の坐禅会とか数日間の坐禅リトリート(摂心、せっしん)など、長い期間瞑想するときには、座ってばかりいることは不可能ですから、このように座る瞑想と歩く瞑想を交互におこなうことになります。
坐禅の起源は、今から約2500年前にブッダ自身がおこない、弟子たちにも指導していた瞑想法です。
しかし現代人はそのころの人々とくらべると、はるかに複雑な生を生きています。
コンピューターを使い、あらゆる電磁波が地球空間に満たされている、ひじょうに忙しく騒々しい毎日を生きています。とくに都会に住んでいればなおさらそうです。ただ静かに座ることは、現代人にとってたいへんむずかしいものになってきているのです。
そのせいか、最近はかなり多くの動的(アクティブ)瞑想が増えてきています。
バパク・スブドという人が紹介するラティハンという瞑想法や、和尚ラジニーシのダイナミック瞑想、クンダリーニ瞑想などという瞑想法は、新しいタイプの瞑想法といえるでしょう。
これらの瞑想のあいだ、瞑想者は身体が激しく動いているにもかかわらず、心のなかが沈黙に満ちているという体験をするのです。その沈黙は、瞑想がもたらす不思議な至福でもあります。
伝統的な瞑想法のなかにも、スーフィーの旋回(ワーリンク)瞑想や呼吸法(ズィッキル)などは、この動的(アクティブ)瞑想の仲間です。

瞑想とは何か?

瞑想の目的


| 瞑想(メディテーション) | 21:34 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
瞑想の目的
瞑想の目的というのは、人々が瞑想をしたいと思うときに何をそのゴールとするのかということです。
通常、生きている人には大なり小なり何かしら悩みがあり、その向こうに夢とそれにたいする期待というものがあります。
ある人々は生活のなかで悩みや不安があり、瞑想によってその精神的な苦悩から逃れたいと思います。
ある人々は人生に不満があり、それを解決するために、なにか霊的なスーパー・パワーのようなものを得たいと思って、この道に入ってきます。
そして瞑想の師たちは、ほとんど例外なく、瞑想をとおして普遍の平安とよろこびを獲得することができる、と言います。
そして、ジグザグに進む瞑想のプロセスが始まります。
私自身は、長い間、自分が何のために瞑想しているのか、はっきりと言葉化することができませんでした。
なんとなく、瞑想することは自分自身を向上させ、精神性を豊かにし、人間として優れたものになる、というような想いがただ漠然とあったにすぎません。
しかし、実際問題として、瞑想にかぎらずどんなことでもそうですが、何かをやっているときには、自分がいったい何のために、何の目的でやっているのかということを、はっきり知っている(意識化できている)ということはたいへん重要なことです。
そして、そうしたときに、人々はおうおうにして否定形を用いて表現しようとします。何かをしたくないとか、何かから逃れたい、というような言い方です。どちらも否定形の一種です。
しかし、現実の世界には否定形というものは存在しないので、否定形の望みはいつの間にか、どこかへ忘れ去られてしまうということになります。
はっきりと成果がわかるようにするためには、望みはかならず肯定形に置き換えなければなりません。
そうすることによって、あなたの心(マインド)がはっきりとその意味とそこへいたる地図を手に入れることができるからです。
それでは、瞑想しようとするときの人々の目的とは、いったいなんでしょうか?
ある人が、悩みや不安があってその苦悩から逃れたい、と言うとき、その逃れたさきには何があるのでしょうか。彼(もしくは彼女)はいったい何が欲しいのでしょうか?
その答えには、人それぞれの性質や嗜好の違いによって、異なった言葉が使われます。
心の平安が欲しい、内側の調和を感じたい、永遠のよろこびとひとつになりたい云々ような異なった表現が用いられます。しかし表現する言葉は違いますが、望んでいる本質は実際のところ同じものなのです。
使われる言葉の違いは、ひとつの大きなクリスタルの結晶をさまざまな角度から見ると、光の反射角度のちがいによって別々な色に見えることがあるという現象と同じことです。ある人の位置からは光が淡いアメジスト色に反射して見え、別な角度からは薄いピンク色に見える。しかし、見る角度によって異なった色合いに見えたとしても、そのクリスタルは同じひとつのクリスタルです。
だから、平安も調和も喜びも同じ一つのものを指し示している言葉にすぎないのです。私はここではとりあえず、「幸福」という言葉を使っておきましょう。瞑想は幸福を得るための不思議な方法論です。瞑想は幸福のレシピなのです。
ある人は、うるさい親から自立して、自由になりたいと思います。この場合の自由と幸福という言葉で指し示している本源(クリスタル)は同じものです。「普遍の平安」というのも実は同じものです。それは実際には、言葉では表現しきれないものなのです。逆に言うと、ぎりぎりの範囲で使用可能な表現は、上記のように実はけっこうたくさあるのです。
知性的な人ならだれでも、こんな世界のありかたにいつか疑問を抱くでしょう。そうして、人生のある時期に精神世界の門が開かれます。そのとき、瞑想の目的は真の「幸福」を手に入れることです。
そして、この「幸福」を手に入れたいと思う強い精神的な欲求が、あれもしたい、これもしたいという、ほかの小さな欲望をすべて焼き尽くしてしまうまで、瞑想はあなたの最善の友として一緒に旅をすることになります。

インド・アーユルヴェーダ

瞑想とは何か


| 瞑想(メディテーション) | 12:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
瞑想(メディテーション)とは何か(1)
瞑想とはなんですか? と聞かれると、一瞬「フム」と考えてしまうのですが、それは瞑想のなかにいろいろなアスペクトがあって、その人がどこにいて、どんなものを思い描いているのか、ということから、出てくる答えが変わってこざるをえないからです。
「瞑想」という言葉を辞書で調べてみると、「目を閉じて深く静かに思いをめぐらすこと」、「何かに心を集中させること」というようにでていますが、これは東洋と西洋の概念の違いと、翻訳のときに言葉を当てはめるところからくる混乱の結果ででしょう。キリスト教のなかで神に心を没入させて、一心に祈ることを、東洋の瞑想と同じものだと思ったので、上記のような間違った訳語が生まれてきたわけです。
もともと仏教では、瞑想という言葉は使わず坐禅という言葉を使ってきています。
通常、瞑想という言葉は、ひとつにはあらゆる想いがなくなっているという状態をあらわす言葉として用いられます。
何かにたいする考えや想いなどが寂滅している状態、心をわずらわせるようなものが何もない(無の)状態、心配や不安などのネガティブな想いもなく、また、日常のなかで体験するようなうれしさやよろこびといったポジティブな感情などからも解放されている、という状態です。
そういった状態をインドでは「ディアン」(冥想)と表現しました。

もっと読もうと思う人は、
こちらからどうぞ

アーユルヴェーダ/マクロビオティック、菜食主義などについては、
インド・アーユルヴェーダへどうぞ。
| 瞑想(メディテーション) | 15:42 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
瞑想と出会ったのは
「瞑想」という言葉にはじめて出合ったのは、たぶん私が高校生の頃だったと思います。
それ以前に、一休さんや沢庵和尚さんの話などのなかで「坐禅」という言葉を聞いたことがありましたが、なんのことかはっきりとわからなかったし、話の焦点でもなかったので、せいぜいなにか不思議な知恵をさずける方法というような理解ともいえないようなあやふやなものでした。
中学・高校の頃、私はビートルズが好きだったので、よく彼らのヒット曲を聴いたり、ニュースなども雑誌などで読んだり、彼らの写真を切り抜いて部屋中に張りまくったりしていたものでした。
あるとき、ビートルズがインドに行ってヨガのマスターに会った、という記事とそこに写真があり、そのあたりから「ヨガ」と「瞑想」という言葉が私の頭のなかに入り込んだみたいです。


もっと読んでもいいかな、という人は下記のURLを
http://ayur-indo.com/meditation/meisou1.htm
| 瞑想(メディテーション) | 16:21 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
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